あなたは? これらすべてはあなたにとってどのような意味を持ちますか? |
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今日でも私たちはイエスとの個人的な関係を持つことができるのでしょうか? |
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イエスは今でも私たちと関係を持つことに興味があるのでしょうか?キリストと個人的な関係を持つとはどういう意味でしょう?そしてそれは私たちの生き方にどのような影響を及ぼすのでしょうか?どうすればそのような関係を持つことができるのでしょう? これらはすばらしい質問であり、イエスの重要性が分かる人には代表的な質問です。以下は、これらの質問やあなたが抱いているかもしれない他の質問に答えるのに役立つ情報です。 イエスの復活により、イエスの弟子たちは今もなお生きている創始者をほめたたえているのです。 イエスを信じ従う人たちは、なくてはならない関係、すなわちイエスとの個人的な関係を持っています。イエス・キリストは今日も生き、彼に信頼し従う全ての人の人生を確実に豊かにします。何世紀にもわたって、世界に大きな影響を及ぼした人々を含む多くの人々がイエス・キリストの価値を認めてきました。フランスの物理学者であり哲学者であるブレイズ・パスカルはイエスの必要性を次のように語りました。「全ての人の心には神の形をした穴がある。それは神のみがその子、イエス・キリストを通して埋めることができる。」 イエスを個人的に知りたいと思いますか? もちろん、知ることができます!神はあなたを深く愛しておられるので、もうすでに必要な手配を全て整えて下さいました。イエス・キリストの死と復活のおかげで、私たちはイエスとの個人的な関係を持つことができるのです。イエスが神と私たちを断絶している溝を埋めたのです。以下の4つのポイントは、あなたがイエスを個人的に知り、彼が約束する充実した人生を体験する手助けをします。
神は私たちを愛しておられ、個人的に神を知ることができるように、私たちを造ってくださいました。 神の愛「神はそのひとり子キリストをこの世に遣わされ、十字架上で私たちの罪の身代わりとして死なせるほどに、私たちを愛してくださいました。それは、キリストを信頼する人が誰であろうと、滅びることがなく、永遠のいのちを持つためなのです。」(ヨハネの福音書3:16) 神の計画「永遠のいのちとは、ただ一人の本当の神と、その神が遣わされたイエス・キリストを知ることなのです。」(ヨハネの福音書17:3) それではなぜ私たちはこの神を知ることができないのでしょうか?
人には罪があり、神との深い断絶があります。そのため、神を知ることも、神の愛を体験することもできなくなっているのです。 私たちには罪があります。「すべての人は罪を犯したので、きよい神から遠く離れている。」(ローマ人への手紙3:23) 人は本来、神とともに歩むものとして創造されましたが、神から離れ、自分勝手な道を進みました。人が神から離れてしまっている状態を「罪」といいます。 私たちは神から断絶されています。「罪からくる報酬は死(神からの霊的な断絶)です。」(ローマ人への手紙6:23) この図は、きよい神と汚れた人間との関係を描いています。両者の間には、越すことのできないへだたりがあります。矢印は、良い行い、哲学、宗教といった人間的な努力を表しています。でも私たちは一度としてうまくいった試しがありません。 次のポイントはこのへだたりに橋渡しする方法を説明しています。
人の「罪」のために、神が用意してくださった唯一の解決が、イエス・キリストです。私たちはキリストを通して、神を知り、神の愛を体験することができるようになります。 キリストは私たちの身代わりに死んでくださいました。「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙5:8) キリストは死からよみがえられました。「キリストは・・・私たちの罪のために死なれ・・・葬られ・・・三日目によみがえられ・・・ペテロに現れ十二弟子に現れ、・・・その後、500人以上の人々の前に現れました。」(?Tコリント15:3〜6) キリストだけが神への道です。キリストは、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり神のみもとに来ることはありません。」と言われました。(ヨハネの福音書14:6) この図は、先ほどのへだたりに神が橋渡ししてくださったことを表しています。イエス・キリストが私たちの身代わりとなり十字架上で罪の罰を受けてくださったのです。 この出来事をただストーリーとして知るだけでは十分ではありません・・・
私たちは、それぞれ個人的に、イエス・キリストを、罪からの救い主、人生の導き手として迎え入れる必要があります。そうすることで、私たちは個人的に神を知り、神の愛を体験するようになります。 キリストを信頼することで私たちはキリストを心に受け入れます。「あなたがたが罪から救い出されたのは、神の一方的な恵みであるキリストを信頼したからです。それは、あなたがたが自分の努力で獲得したものではなく、神からのプレゼントです。人間の行ないによって得るものではありません。誇る人がないためです。」(エペソ人への手紙2:8,9) キリストはあなたに問いかけています。「さあ、私は戸の外に立ってたたいています。誰でも私の声を聞いて戸を開けるなら、私はその中に入り、その人と一緒に食事をします。」(ヨハネの黙示録3:20)
この二つのうち、あなたの今の状態を最もよく表しているのはどちらでしょうか? もし選ぶなら、あなたの人生としてどちらがよいと思いますか? キリストを受け入れるには次のようにします。 あなたも今、信じて祈ることによって、キリストを受け入れることができます。(祈りとは、神に話すことです。) 神は、あなたの心を見ておられます。次のように祈ることによって、あなたも今、キリストを受け入れることができます。 「イエス様、私はあなたを必要としています。私の罪のため、身代わりに死んでくださりありがとうございます。私は今あなたを、私の罪からの救い主、人生の導き手として心にお迎えします。」 これは、あなたの心を表しているでしょうか?もしそうなら、いま、祈りましょう。キリストはあなたの心に入ってくださいます。 キリストが心の中に来られたことをどのように知るのでしょうか? あなたは、キリストを心に受け入れましたか?黙示録3:20の約束によれば、キリストは今どこにいらっしゃいますか?キリストは、あなたの心の中に来てくださると言われました。キリストはあなたに偽りを言う方でしょうか?神があなたの祈りに応えてくださったとなぜ言えるのですか?(神は正しい方なので、神の言われたことは信頼することができるのです。) キリストを受け入れた人々に、聖書は永遠のいのちを約束しています。 「そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちがキリストのうちにあるということです。キリストを持つ者はいのちを持っており、キリストを持たない者はいのちを持っていません。私が神の御子キリストの名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。」(ヨハネの手紙第一5:11〜13) キリストがあなたの心の中にいてくださること、そして、キリストは決してあなたを捨て去ることがないことを神に感謝しましょう。(ヘブル13:5)キリストをあなたの心にお迎えした瞬間から、キリストはあなたの心の中に住んでくださり、あなたに永遠のいのちが与えられました。神が約束してくださったのです。そして、神は決してあなたを裏切りません。 大切な次のことも心に留めてください。 感情に頼ってはいけません。私たちが信頼するのは、神のことば、聖書です。自分の感情ではありません。クリスチャンは信仰によって、つまり、神ご自身と神のことばに信頼をおいて歩むのです。下の図は、事実(神と神のことば)と信仰(神と神のことばへの信頼)と、感情との関係を表したものです。 客車がなくても汽車は走ります。しかし、客車で汽車を引っ張ることはできません。これと同様に、クリスチャンは感情とか気分に頼って生活するのではなく、神ご自身と神のことばへの信頼(信仰)によって歩むのです。 キリストを受け入れたあなたは、今… 自分の意志で、信仰によってキリストを心に受け入れた瞬間に、下記のことを含め、多くのことが起こりました。 1.あなたの心の中にキリストが入ってくださいました。(黙示録3:20) 2.あなたのすべての罪が赦されました。(コロサイ2:13) 3.あなたは神の子どもとされました。(ヨハネ1:12) 4.あなたに永遠のいのちが与えられました。(ヨハネ5:24) 5.あなたは神が導く大いなる冒険の生涯をスタートさせました。(?Uコリント5:17) キリストを受け入れることはどんなにすばらしいことでしょうか!神があなたにしてくださったことに感謝していま祈りませんか?神に感謝することによって、あなたは信仰を表明するのです。
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